街中のカフェなど誰もが自由に出入りできる場所で、飲み物を片手に参加者同士で特定のテーマについて話し合う営みです。1992年にフランス・パリのカフェで偶然生まれ、その後世界中に広がっていきました。
哲学カフェに決まった定義があるわけではありません。共通するのは、進行役がいて、テーマを設け、その場にいる人たちが話して聞いて考えるというシンプルなつくりです。
Cafe Philo(カフェフィロ)HPより(http://cafephilo.jp/event-page/)
哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである ・・・ 哲学カフェは、ものごとについて同意や、問題の解決ではなく、問いの発見、問いの更新をこそめざすということである。
・・・哲学カフェでは無理に合意をめざさなくてよい。それよりも問題の所在を探ること、そのなかで問いが書き換えられていくプロセスそのものをシェアすること、つまりはおなじ時代を生きる者どうしが、都市のなかにこじ開けたエア・ポケットのような場所で、問題をシェアしているという感覚がもてることに、あえていえば大きな意味がある。
鷲田清一監修、カフェフィロ編『哲学カフェのつくりかた』大阪大学出版会,2014より
哲学カフェでの哲学対話は、とくに哲学の知識を必要としません。哲学カフェは、医療者の間ではまだまだ知られていませんが、すでに現代社会の中で静かに広がりを見せており、ガイドのHPが作成されるほどです(例:哲学カフェ・哲学対話ガイド)。
北欧の精神医療現場でのオープンダイアローグなどにも見るように、いま、医療現場にも「対話」的実践が求められています。
・・・ですが、そもそも、医療者である私たちは、「対話」してきたでしょうか?助言する/されるの関係や、一方向のコミュニケーションが意外と多くありませんか?
こころのケアをしていく中で出会うさまざまな問題意識の芽、哲学対話で共にほぐしていきませんか?