日時:2021年7月10日(土)14:00~16:00
場所:zoom(運営メンバーは山口、京都、愛知、東京からそれぞれ参加)
テーマ:小さな不安
進行役:紀平知樹
今回のテーマは「小さな不安」。
援助職者は人の不安は聞くけれど、自分の不安は話すことに抵抗を感じている人が多い?では、小さな不安ならば話せるか?という投げかけからスタートしました。
でもだからといって、単に、参加者みんなが小さな不安を感じている中身を語り合う場にならないのが、ここの対話です。
体験を交えながら、いろいろな投げかけがさらに生まれます。
- 小さな不安なら話しやすい?
信頼関係を築くために小さな不安から聞いていく?
→そもそも、ある程度の信頼関係ができているから不安の話になるのでは? - 不安と、心配・気がかりとは違う?
→小さな不安は、ある程度心配や気がかりと重なるところがあるかもしれない? - 不安を共感して受け止める・理解することはできるか?
→完全には理解できない。ねぎらうことしかできない。
理解はできないが、理解しようとし続ける姿勢を持つことが大切。
中にはそう簡単には理解されたくないという思いもある。
互いの理解のすり合わせは必要なときと、しないほうがいい時がある。 - 不安とは自分が巻き込まれていることに関して起こる?(自分がまきこまれていない場合にはそこまで不安は生じない)
- 自分のコントロールできる範囲内で解決できるか否かで、不安となるか、心配・気がかりとなるかで線引きがあるのでは?
- 不安に対しては、「解決する」というよりも「その気持ちをどう取り扱うか」というところに焦点があるのでは?
- 同じ現象に対しても感じる不安が状況によって大きかったり小さかったりするのはなぜ?
→不安は気になる対象がほかに移るかどうかで大きくなったり小さくなったりするのでは? - 不安は解決すべきもの?
→なかには、不安を訴え続けることで人とのつながりを保っているように見える人もいる
当日になって都合が悪くなられた方もいてこじんまりした輪となりましたが、いろいろな話が出て気が付けばあっという間に2時間がたっていました。
哲学対話では、結論を出しません。
他人の意見を聞きながら自分の考えが変わっていくのを味わい楽しみます。
私自身は、話しながら自分の頭が少し整理されていくのを感じました。不安をそう簡単には理解されたくないという思いもある、ということや、不安に対してはその気持ちをどう取り扱うかに焦点がある、というお話がはっとして響きました。
ご参加され一緒に対話してくださった方どうもありがとうございました。
次回は9月4日です!