活動報告:1/22(土)「徒労とは」と2021年度を振り返って

2022年1月21日(土)は、2021年度最後のオンラインこころカフェで、「徒労とは」をテーマに対話しました。

はじめに、テーマを出した人(今回は私)がテーマを提案した経緯を語ります。

 

自分がかつて徒労感にしばしばさいなまれていたこと。子供の頃、新人看護師の頃、新人教員の頃・・・

辞書的には「徒(いたずら)に苦労すること」「無駄な骨折り」「一生懸命努力しても報われないこと」である<徒労>。

自分なりの一生懸命を繰り返して、相手が変わらないことに怒りやそれを通り越した脱力感にちかい形で徒労を感じていたのかもしれないと思う。そんな<徒労>。

が、年と共に減ってきたのは、成長や関係性の変化や見通しが持てるようになることと関係があるのか。

それでも、昔ほど肩日からは入らないものの一生懸命なのは年をとっても一緒で、徒労感を持つこと自体が自分の未熟さを意味するように感じて抑圧してきたのかもしれない。<徒労>には否定的な意味合いがあり・・・

 

そんな話を皮切りに、それぞれの立場・様々な角度から対話がされました。

  • 職場に徒労感にさいなまれている人がいるが、答えのない精神科で宙ぶらりんのケアに何を求めているのか自分で見えていないのかなと思う。相手の変化、他者からの評価を求めていること。
  • 30代で自分がそれ以上にもそれ以下にもなれないと思えるようになり、目標を変えていったことで感じなくなった。年を重ねて自分が見えてきくることと関係しているのか。
  • 10代20代で自分がどうあるべきか確立されていないというのはある。どう頑張ってもできないことがあると他の人にお任せできるようになった。20代30代で出会ったクライエントに育てられた。自分の軸ができることと関係しているのでは。
  • ゴールが設定されてそれが達成されないこと、ゴール設定自体がされないことへの徒労感
  • 時間を無駄にしたと思うこと、ケアに求めていた見返り~相手の変化・自分のステップアップ~がなかった事への徒労感。経験をつみ納得してケアにあたっている。やっている事への”納得”が関係しているのでは。
  • ある方から依存症ケアで徒労を感じないポイントは、相手を変えようと思って関わらないことだと聞いた。ケアの内容によってケアに求めるものがちがうのでは。
  • 回り道も無駄足も結果オーライで良いんではないか。今では死ぬまで変われないことも人生なのではと思うようになった。以前は耐えてこそ看護師と、自分が何とか変えようとして徒労を感じていた。
  • 徒労を感じていた時は苦しみつつ何かを楽しく感じていたのでは
     ⇒何か刺激を感じる、何かに一生懸命、人に好かれたいと一生懸命思う、苦しみつつも”生きてる"という感覚
  • ケアを自利で考える/利他で考えるというのもあるのでは
  • 個人ではなく組織に対しての徒労は、立ち位置により異なる
  • 「徒労」とはネガティブワードなのだろうか

2時間があっという間でした。しかも、最後の最後に、参加者から「徒労とはネガティブワードなのか」という根本的な問いが投げかけられ、皆うなって終わりというのが痛快でした。

2021年度最後の回はその総集編とも言うべき、示唆に富んだ回でした!

 

今年度は計5回、「マイルール」「小さな不安」「ケアのセンス」「頼るとは?」「徒労とは」のテーマを設定し、様々な対話を実施させていただきました。

看護師、心理士、PSW、ST、OTなど皆様さまざまな背景、経験、ケア観をもつなか対話をすることで、自分が思っていたケア・価値観が他の方にとってのケアと違うことに気づくことにもなりました。

テーマによっては何を話すのか?とすぐにイメージがわかないこともあったかもしれません。

時に哲学者からケアとはまったく違う文脈、違う発想で思いも寄らない角度からの問いかけにうなることもありました。

ですが、現場の日常とは違う話題での対話だからこそ、いつもの自分の見ていたこと/目を向けていなかったことを新たに発見できる面があることにも気づきました。

一個人・一参加者としても楽しませていただいている対話です。ありがとうございました。

 

次年度も5回を予定しております。5月・7月は同じテーマで連続して対話を深めます。

こんなテーマも対話してみたいなど、ございましたらお聞かせいただけましたら幸いです。

(候補に含めさせていただきますが、かならずしもテーマになるとは限りませんことご了承ください)