活動報告:5/14(土)「その人らしさ」と「ワガママ」の境目①

2022年度の第1回(5/14)の対話にご参加くださった皆様ありがとうございました。学会シーズンにつき更新が遅れてしまいました(シーズンでなくても…というのはさておき…)。

 

エッセイ(「その人らしさとワガママの境目」(菊間はっか氏))を題材とする対話の1回目は、最初にエッセイの登場人物トシオさんに似た事例について共有して、文面にあらわれていない背景の考察や疑問なども含め合わせ考えていくような流れで進みました。

 

・その人らしさとわがままの境目は他者からの評価であって同じことなのでは?

⇒周囲が受け入れられらるか/そうでないか(本人からみたらわがままではないが周りから見たらわがまま)

⇒その人らしさは向こう側から立ち上がるものではないか

 

・他者からの評価に関連して・・・

⇒本人の必要性だけで動いて周囲のいう必要性に耳を傾けない頑なさがわがままに結びつく?

⇒周囲の余裕のあるなしがかかわってくるのでは?

⇒支援者はつい人間らしい生活をしてほしいと余計なお世話を思ってしまう

⇒こだわりが変わらないと思われていた人が女性職員の前でだけこだわりが止まることがあった。そのスタッフがその人をいう時には「わがまま”ですけれども”」と必ず逆説がつく。(仮にわがままであったとしてもその向こうに何かを見ているかで援助につながる)

⇒周りが本人が変わることができるかもしれないと可能性を信じれるかどうか

 

・「わがまま」の背景に関連して・・・

⇒お酒やたばこは依存かもしれないが、周りの人が自分のほうにベクトルを向けるというメリットもあったんでは

⇒変わることができるか、できないかは本人や周囲にも葛藤があるのでは。

⇒依存はなにか自分が満たされないものを埋めるためで、なぜアルコールに走ったかにかかわれたらいいのでは

⇒甘えもあったのでは

 

・甘えとわがままの違い・・・

⇒肢体不自由の対象者には甘えないように言うと同時に積極的に頼りましょうとも言う

⇒自立は他の人に上手に依存すること、できないことを頼るのは甘えではないのでは

⇒甘えは退行の要素が含まれている。依存はどうにもできなくて依存しなくてはいけない部分もある

 

これまでの回以上に実践の具体も含め、様々な方向に話が膨らんでいき興味深い2時間でした。

哲学者以外は皆臨床家のため、私も含め、どこか「その役割の自分」として話してしまう側面があったかもしれません。

 

もし、その概念に対して素の自分が感じていることを切り離すのではなく、敢えて語るとどうなるでしょうか。

援助職として引き出そうとしているケア対象の「その人らしさ」を、役割をとっぱらって考えてみるとどうなるでしょうか。少し考えてみたいと思います。

 

次回も引き続き、同じテーマで実施します。進行役を変え、2回目からご参加いただく方、1回目から引き続きの方で、広がり・深まりを味わいたいと思います!

7/16の回はお申し込み6/16までです(お申込みはこちら)。よろしくお願いいたします。